由緒・御祭神

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御祭神

八幡大神

應神天皇(誉田別尊)
神功皇后(息長帯姫命)
市杵島姫命

由緒

当宮の御神は国家を鎮護し学問産業経済を盛んにし、災難を消滅させ人の一生を守り給う八幡大神と申し御神体は最霊石という霊石です。
御祭神は應神天皇(誉田別尊)神功皇后(息長帯姫命)市杵島姫命の三柱の神に坐します。
桓武天皇 延暦二十年(801年)坂上田村麻呂をして東奥鎮撫のとき当地に胆沢城を築き、鎮守府を置き、城の北東の地に豊前国(大分県)宇佐八幡神の神霊を勧請し、神宮寺の安国寺とともに鎮守府八幡宮と号し東北開拓経営の守護神となられました。

国家の崇敬厚く弘仁元年(810年)嵯峨天皇より宸筆の八幡宮寳印をたまわりました。
嘉祥三年(850年)当宮別当職円仁(慈覚大師)は宮と宮附属の安国寺にて最勝王経を講じ、修正会、修二会、放生会、八講等の諸祭をおこない、これを恒例としました。
天慶三年(941年)藤原秀郷は平将門征討のおり、当宮に神領ならび神剣を奉納し戦勝を祈願しました。
康平五年(1063年)源頼義また源義家は鎮守府将軍として当宮に戦勝を祈願しました。
治承元年(1177年)奥州平泉藤原氏は当宮を尊崇し十六羅漢像をはじめ社殿の造営、広大な神領、数多くの神宝を奉納し厚く崇敬しました。

文治五年(1189年)源頼朝は殊に欽仰し当宮を第ニ殿と号し全神事ことごとく鎌倉幕府の御願とし、陸奥出羽両国の所済物(税)をもって盛儀諸祭を執行しこれを恒例としました。
中世には奥州伊澤八幡宮とも称され奥州総奉行の葛西氏や葛西氏の重臣、柏山氏の崇敬をうけました。
建武三年(1336年)北畠顕家は鎮守府将軍として祈願参拝しました。
延元二年(1337年)南北朝騒乱の兵火に遇い壮麗を極めた社殿群や多数の神宝什物はことごとく廃塵に帰しました。
貞和四年(1348年)北朝奥州探題吉良貞家は胆沢、江刺、和賀、気仙、斯波の五郡の棟別銭をもって南北朝騒乱期に焼失した社殿群を新に造営再建しました。
明徳元年(1390年)天台宗我等山安国寺を修験道に改めました。
天正十九年(1591年)豊臣秀吉も厚く崇敬し浅野弾正長政をして社殿の造営と多数の境内社の修造をおこない広大な境内地の神領を安堵しました。

江戸時代には仙台藩伊達氏の厚い保護を受け仙台藩筆頭の八幡神として崇敬せられ寛永六年(1629年)寛文二年(1662年)貞享二年(1685年)元禄七年(1694年)宝永六年(1709年)享保二年(1717年)には藩費をもって社殿の造営修復をしました。寛永十四年(1637年)伊達政宗の正室愛姫は慶長洪水のため決潰した社地の修造と社殿を現在地に遷座しました。文化八年(1811年)藩主、藩士、仙台城以北奥七郡四〇六ヶ村の大肝入、肝入、検断、村々の総勧化(寄付)をもって現社殿を造営しました。
当宮は奥州街道沿いに鎮座することもあって、街道を往く幕府巡見使や仙台藩主、盛岡藩主さらに幕末には函館奉行所へ赴任する幕府役人を始め近藤重蔵など歴史に名を残している者が多数参詣しています。
明治九年(1876年)明治天皇は東北御巡幸のみぎり、右大臣岩倉具視、宮内卿徳大寺實則、内閣顧問木戸孝允を遣わして御代拝あらせられました。
大正十一年(1922年)県社に列しました。

数ある神宝のなかで特に嵯峨天皇宸筆の八幡宮寳印、坂上田村麻呂奉納の宝剣と鏑矢、源義家奉納の御弓、伊達氏奉納の太刀などがあります。
江戸時代の紀行家菅江真澄も当宮を参詣し最霊石や宝剣と鏑矢を拝し、その絵を残しています。